三好 頼澄(みよし よりずみ)は、戦国時代の武将。細川氏の家臣。

略歴

三好之長の子。一説には後に三好三人衆の1人として権勢を振るう三好宗渭が子とも。

父や長兄の長秀と細川澄元に仕えた。永正6年(1509年)6月、京都奪還のため父に従って細川高国・大内義興らと戦うが敗れて兄の長秀と共に伊勢山田(三重県伊勢市)に敗走した(如意ヶ嶽の戦い)。だがここで高国と縁戚関係にあった北畠材親の攻撃を受けて長秀と共に自害に追い込まれた(『実隆公記』『細川両家記』)。

注釈


三好実休(三好義賢) 日本で初めて鉄砲で撃たれて討死した大将? 戦国武将列伝Ω 武将辞典

海軍主計総監相良澄外三百四十九名叙勲並勲章加授ノ件

三好株式会社

三好元長・三好氏の黎明期を支えた若き勇将 主の謀略に散る YouTube

三好長慶 世界の歴史まっぷ 戦国大名。管領細川晴元の被官となり、和泉、河内の代官をつとめたが、のち晴元と対立。将軍足利義晴・義輝父子と晴元